「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」

父・佐藤功が60年前に、子ども向けに書き下ろした『憲法と君たち』
この出版不況の中、怒濤の快進撃で版を重ねております(時事通信出版局より復刻)
複刻版出版11/14〜、わずか2週間ほどで4刷りとなりました。これはもう、今の時代が求めていたとしか思えません。

恥ずかしながら序文を書いているため、新聞社などの取材が相次ぎ、嬉しい悲鳴です。

以下、よろしくお願いいたします。

*11/3東京新聞朝刊 「いわなければならないこと」ーー私のインタビュー記事、書評掲載。

*同日夜、テレビ朝日報道ステーションーーインタビュー録画放映予定

これまで児童文学をひっそりと、こつこつよろよろ続けてきました。このような露出は初めてで、、、
顔をさらすことには抵抗はありますが、復刻に尽力して下さった皆様と喜びを共有しております。また、「まきこさん、見ました!」と電話をくれる旧友など、思いがけないサプライズもあり。

この取材も憲法制定70周年の11月3日で、落ち着くと思われ、、、
そして、私は飛ぶ!のです。生まれて初めての一人旅50日@ネパール、インド。

ずっと夢見ていた。風のように旅をしたいと。
母がみまかり、息子達の家庭は盤石。夫のサブちゃんも「行けるうちに、後悔しないように行ってくれば」

18年ぶりにトレッキングをしようと、5㎏落としました。駅の階段も、もう膝は痛くないもんね。

69回目の誕生日、クリスマスはガンジス川で沐浴です。

画像は;1998年、ガンドルンにて。Good old days

遺品整理

兄とともに、亡父・亡母の遺品整理を続けています。

こんなものが!と、思うような品が出てきたり、5月末に世を去った母が忍ばれる品が出てきたり。
*私が7歳の頃から、一段一段、増やしていった雛人形。全部で八段ありました。母が防虫剤を入れておいてくれたおかげか、保存状態も良好なり。

*私が「ええっ!」とのけぞった手鏡。
重い小児喘息で、寝たきりだった私は茶の間にあるテレビを観ることができなかった。なぜなら、布団の位置からすると、身体の左側を下にしなければ、茶の間のほうを向けなかったから。
心臓を下にすると、苦しいのです。
そうしたら、母が、この鈴蘭の木彫りの手鏡を渡してくれて、
「これにテレビを映して観なさい」と。

この手鏡に映った「ターザン」などを、私は観ていたのです。茶の間に背を向けて、布団に横たわったまま。
まさか、この手鏡を母が取っておいたなんて!

憲法学者である父・佐藤功が勲二等?紫綬褒章?をいただいた時の記念写真。
2人そろって皇居へ行った折のもので、母が着ているこの着物も桐のタンスの引き出しに眠っていました。

私がこうして、このトシまで元気でこられたのは、手厚い母の看病があったからこそです。そして、精神的には、私は書斎で原稿を書く父の背中を見て、育ちました。
父よ、母よ、ありがとうございました。

トークセッション・4/16

今日はトークセッション、<ヒロシマ・2016連続講座>
第4回;高橋武智氏によるJATEC(ベ平連のコーディネーター部門)活動を振り返って@駒込・愛恵福祉支援財団

なぜにヒロシマからベ平連かというと、、、「わだつみ会」、60年安保当時の「声なき声」、反戦、非核ーーと、受け継がれてきた市民平和活動の一つという位置づけです。

そして、なぜに私が諸般の事情を振り切って参加したかというと、、、私の処女作「絵にかくとへんな家」はベトナム戦争からの脱走米兵と6年生の少女との交流を描いたものでして。
出版当時、高橋武智先生に好意的な書評をいただきました。
43年後の今日、ようやくお会いすることができ、昨年電子書籍化したことをご報告できたのです。

おずおずと自己紹介したところ、「ああ!『絵にかくとへんな家』ね。ボク、あの本、大好きなんだよ」
題名を憶えていて下さるだけでも光栄なのに!

脱走米兵を第三国へ逃すため、旅券を偽造するなど非合法活動に身を投じておられたとはとても思えない、優しい目をした武智先生。
マイクも使わず、張りのある声で2時間余の講演。最後の部分がずしりと重く胸に沈みました。

「日本もこのまま行くと、今に戦地へ向かう自衛隊員を逃がす日が来るかもしれない」ーー


整体初体験!

整体初体験!

ヨーガを習っているガネーシャ・ギリ先生のご紹介で、三才堂の佐々木先生にいらしていただきました。出張専門で施術をなさっておられます。
整体って、、ゴキゴキいうのかなと少々緊張していたら、、

触れるか触れないかのツボ押し+ストレッチ+アーユルヴェーダみたいな?
最後はちょっと痛かったですが、肩こりすっきり、視力もよく見えるワ。
施術中に、早くも血流がよくなって、足がじんじんしたり。お腹がぐるぐる鳴ったり。

昨年12月より、右脚腰が痛み、近所の整形外科でレントゲンを撮ったところ、脊椎の4番5番の間隔がせまくなっており、それが原因の座骨神経痛といわれていました。ところがーー

なんと! 私のは座骨神経痛ではなく、股関節なんですって。
整形外科の牽引は意味がない。最近の整形外科は牽引はもうやらないのが主流なんですって。もう整形行くの、やーめた。

「股関節よりも頭が猛烈に緊張していますね」
「そうなんです!数日前から首がこって、頭痛が」
(実はipadのゲームのやりすぎ)

家でできることとして:タオルを濡らしてぎゅっとしぼり、電子レンジで1分チン。そのタオルを就寝前に目、痛む箇所にあてる。頭痛の場合は「ぼんのくぼ」にあてる。
なぜに蒸しタオルかと言うと、熱いタオルが冷めていく。その温度差が緊張を和らげる。
ふむふむ。なるほど。
私の場合は神経が高ぶって、ラジャシック(激性)になっているので、チャクラの一番下・ムーラダーラに集中して瞑想すると良い。ふむふむ。な〜るほど!
ーーと思っていたら、、、

「実は、一度お目にかかっているのです。ネパールのお坊さんの集いで」
「ネパールのお坊さん、、、って、シャームジですか?」
なんと! 一昨年のシャームジ来日の折、門前仲町アディヤートマヨガスタジオで開催したバジャンの集いにいらしてくださったそうで。まことにまことに、ご縁というものは不思議なものです。
ご縁があるとよく言いますが、どなたか上のほうのかたに、ご縁をいただいているような?

三才堂整体 - http://koushinseitai.jimdo.com/

明けました。

激しく遅れましたが、皆様、新年おめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

なぜに、かくのごとく遅れたか?ーーいや、特に理由は、、
寒いし、仕事ヒマだし。やる気ないし、、みたいな。

今年は暖冬です。では、じゃあ、トシのせい?ーーとは思いたくはないけれど、持病の座骨神経痛が悪化して近所の整形外科へ通院などしております。

この整形外科の院長さん、推定年齢72,3歳。髪型から何から、黒柳徹子さんにそっくり! 朝は9時からなのに、7時半にはもう開店じゃない、開院していて、メイクバッチリ、まっ赤なセーターの院長が待っていてくれる。それだけではないのだわ。

次から次へと来院する患者さん一人一人に、「はろーはろー!」とか「わっ!出たあ!」」とかお茶目な声かけして、「きゃははは」と笑う。

その明るさに救われる思いで、27キロの牽引とホットという患部あたためやってます。

それだけではないのだわ。この医院、土日もやっている。やはり1時間半早く開く。お休みは祭日だけ。

ある朝、私が一番で、スタッフのかたも「あと3分で来る」とかで、院長先生と2人きりの時があった。
で、聞いてみた。おずおずと。「あのう、、お休みの日も開業していらっしゃるのは、やはり地域のかたへの、、?」

院長「そ〜んな大義名分ないわよお。習慣よお、習慣。年寄りはどうせ朝が早いしね。あら、私のことよ、もちろん。きゃはは」

明るいっていいなと、つくづく思う。みんな、それぞれ、いろいろある。でも、高齢者の多い院内を少しでも明るくしようとする院長の「きゃはは」はホンモノと見た。

「習慣」なんていってるけれど、きっと仕事が好きで、人の苦痛を和らげることを使命と思っているんだろうな。

ああ、私にもモノを書くことでそれができたら、、、と、うだうだ7泊八日98円のレンタルDVDを観ておりまする。
え? 何を観てるのかって? たとえば、これ。思いっきりおばかな映画。

http://expendables-movie.jp/

たるたるのスタローン。ふがふがのシュワルツネガー。よれよれ、よたよたのハリソン・フォード
ああ、ハンソロ、、、インディ・ジョーンズ、、、刑事ジョン・ブック、、、
でもっ
80年代ヒーローのオジサン、もとい、ジイサマ達。いい味出してます。まだまだ行こうぜ!

リニューアルオープン!

かれこれ15,6年前になるでしょうか。
かいけつゾロリ」の原ゆたかさんとごいっしょに、幼年童話5冊を刊行しました。
それが! <どっきん!がいっぱい>シリーズとして復刊。今月から来年春にかけて、順次書店に並びます。

イマドキの子ども達にも愛される本となりますように。

ネパール復興への支援も忘れてはいません!

Farmer& restaurant owner& rok'nroler, Waki's big project for Nepal started, 2015, 8,27

和気優さんとは、彼が下北沢のロータスカフェ・オーナーだった頃からのおつきあい。
でも、おつきあいが活性化したのは、今年の4.25, ネパールを襲った大地震から。
なんでもロータスカフェの元従業員さんにネパール人がいたそうです。

私は5/11に、和気さんは6月に現地入りし、私個人にはとてもできない大きな支援をなさってきました。
観光大臣に会ったり、親をなくした被災児童のシェルターをつきとめ、義援金を渡したり。

その和気さんが愛車銀治郎に跨がり、背中にギターをくくりつけて、日本縦断3000kmの過酷な旅に出発したのが8/27。

今現在は、3.11以降、ご自身も移住された大分県臼杵で一休み。後、最終報告に再度旅人に。
各地で「引き叫び」ライブをやり、義援金を集めてているわけです。

では、その日義援金を何に使うのか?

壮大かつ斬新なアイディアです。アースバック(基本材料は土で、チューブ状の素地をトグロを巻くように積む工法)により、瓦礫と化した村を再興する、という。
12月にはネパールへ技師とともに渡り、ワークショップを開催して村人に工法を伝授するそうです。

会場のスクリーンに映し出されたのはガンドルン村のグルン族の家によく似た、かわいらしい家です。
これが実現すれば、村人はテント生活から解放され、「我が家」が持てる! 
そして、そこは「農民ロッカー」和気さんのこと。農業大国であるネパールの強みを生かし、オーガニック野菜とともにエコ村にしちゃおうという。

ゆくゆくは、その村が話題になって、観光名所になったら素晴らしいね!

私は「いざ出陣」の8/27@横浜にはノリノリで、クルタを着て、額にティカを付けていきました。
「追伸・段ボールいっぱいの優しさをありがとう」では、ぼろ泣きし、、,

圧巻は「ありがたや」でした。

ーーみっつ、山の神、ありがたや
よっつ、雨の神、ありがたや
いつつ、ご先祖様、ありがたや、それ、ありがたや!
「ありがたや」の部分は参加者全員で大合唱。
むっつ、和気さん、ありがたや!それ、ありがたや!!