感謝を込めて……

年末のご挨拶をと思い、はて、このブログはいつから始めたのだったっけと日付をさかのぼってみました。
一番最初の記事は、今年2011年8月。久しぶりに、ジョイを連れて千倉へ行った時のものでした。老母が5月半ばに脳出血で倒れてから約3ヶ月後。麻痺は残らなかったものの認知症となり、現在の長期療養型病院を住まいとして2ヶ月ほどたった頃。
ああ、そうだった。母が病院になじみ、心身ともに安定したので千倉へ行こうという気になったんだ。

母の脳出血は、明らかに大地震とその後の余震への恐怖から起きたもの。友人・知人にも、「あれ以来、母が、父が」というかたが何人もおられます。日本全国、このような「被災者」が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

ありがたいことに、母は明るい認知症で、「まきこ。わたし、今朝は和田アキ子さんちで朝ごはん食べたのよ。愉快だったわよ」「昨日は疲れたわ。五反田までお刺身を買いに行ったから」などなど。病院の皆さんにも親しまれ、先月、93歳の誕生日を無事に迎えることができました。
もともと母はにぎやかなことが大好きで、社交的な人でした。人間、どういう状態になっても、それまでの人生が反映されるのだなあと、我が身を省みることしきりです。
同時に、自分の孫のような若者に、もろもろの介助を受けるまで、長生きはしたくないなあとも。こればかりは神のみぞ知ると知りつつ……。

同じような複雑な感情を、残すところあと3日となった今年にも、そして、来年にも抱いています。今年ほど、平凡な日常が何よりも幸せなのだということを思い知らされた年はなかった。しかし、それを学ぶのに、なぜ、これほど大きな犠牲が必要とされたのか? 新しい年はきっと、きっと明るい年になると思うそばから、ガレキの撤去一つをとっても無為無策な政府を思い、ため息が出ます。

また、母の発病以外でも、今年はまるで外界の変化に呼応するように、家族間でもさまざまな問題が噴出した一年でした。毎晩の私の祈りも、しだいに変わってきました。最初のうちは具体的なことを願い、祈ってきたのが、いつのまにか以下の言葉に変化し、定着しました:神様。どのようなことが起こっても、それを平静な心で受け止め、受け入れることのできる勇気と識別力をお授けください。

今、これを書きながら、やはりこのブログを始めてよかったとしみじみ思っています。10年以上続けた、亡き愛犬との日々を綴った「Days with Sitha」の常連さんからのメールには感激しましたし、新しい読者となってくださったかたがたからの反響には大いに励まされました。そう、それから、書くことはいつでも私にとって最上のセラピーだから。

――というわけで(って、何が?)、まとまならい文章となりましたが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって佳き年末年始となりますよう、心より祈念いたします。
2011年最後の画像は「ジョイ・スマイル」