FBより転載

*以下つぶやきです; 今日(5/13)の午後、カランキを一人で歩き回り、テント生活をつぶさに見てきました。カランキはごく普通の町というか、狭い区域で、観光客などが訪れるところではありません。
私も、シャームジがいなかったら、一生来ることもなかったでしょう。

プレスでもないのだから、あまり近距離から撮影しては失礼です。
でも、なにせ暑いので、皆さん、外にゴザを敷いて座っていて、もともとが素朴な人たちで、おまけに退屈している。で、しきりに手招きしてくれて、
ボスノス、ボスノス、フンチャ、フンチャーー「座ってくださいよ」「はい、はい」と、なるわけです。

で、どこからきたという質問に、我、日本人なり。名前はMakiなりーーと、なっていくわけですが、、
さらに質問が矢のように降ってくる。どこでネパール語を習ったのか?そのネパール人の先生の名前は? 子どもはいるのか、息子か娘か、夫はどうだーー

iPad で写真を撮って、見せてあげると、ばあちゃんも子どもも、オトナも大興奮。さあ、みんな、並べというママの一声で、整列する子どもたちーーという、いつものパターン。

4・25の大地震の時、あなたはどこにいたの?ーーというのは、私がテント村でも路上でも、機会があれば必ずする質問です。
バイクに乗っていたという人、4階の自宅にいたが、逃げようにも階段が下りられなかったという人、職場のICUにいたという、若い看護師さん。皆、日本の3・11とツナミをTVで見て知っており、
「この余震はいつになったら終わるのか。また最初から全てが繰り返されるのか。どうか教えてくださいよ」と、切迫した質問も飛んできます。

高校生は英語がよくできるので、私に答えられる範囲で答え、通訳してもらいました。大きなプレートが動いたのだから、その歪みのために、日本では未だに余震がある。ネパールでも、2,3年は続くはず。
でも、最悪最強のは、もう戻ってこないと思うよ。
そう言ったら、みんな、一様にほっとした表情になり、ラストクエスチョンが飛んでくる。「あなた、何歳?」

「アヌマンガルノス(当ててごらん)」と、我、常に言う。
今日は30歳から始まったね。ちなみに、昨日の路上トークでは、35歳から始まった。私がデレデレ ダンニャバード(とってもとってもありがとね)というと、皆、顔を見合わせて、じゃあ、40?我、再度デレデレダンニャバード。

あのですね。これ、リップサービスではなく、過酷な自然と労働のせいで、早くボロボロになっちゃうネパール人女性に比べて、日本人は若く見られるのです。
今日の落札は50でした。笑

皆、がんばっています。自分たちにできることを精一杯、自分たちで工夫して、やっています。ヒンドゥー教では神様の牛の世話も、ちゃんとやっているし。
何よりすごいのは、テント生活を続けながらも、大声で笑い、大きな笑顔になれることだと思う。

*このバージャイ(おばあさん)、私とタメじゃないかな。スモーカーで、メビウスimpact oneが大好きになったみたい。「日本のタバコは甘いねえ」
で、2本あげたら、大事に腹巻きにしまっていました。