つぶやき(2)

どうしても言いたいこと、伝えたいことを簡明に。

あくまでも私が自分の足で歩き回り、自分の目で見た範囲についてですが。
状況はもう、笑っちゃうほどめちゃくちゃで、復旧のメドなんて、ない。
そして、人々は本当に笑っているわけです。ジョークばっか言って、げらげら、げらげら。

どうして、そんなに笑っていられるの?とシャームジに聞いたら、「だって、大地震が来て、今はこれがフツーになっちゃったからさ。みんな、フツーに暮らしてるわけさ」

わからない、と言う私に、彼は言ったね。コミュニテイ、と。
「我々ネパール人は、お祭りや選挙や、プージャ(神々への礼拝)や、いろんなことをコミュニテイでシェアしている。だから、何が起こっても、お互いに支えあっていける。コミュニテイが生きているからね。そのパワーがあるんだよ」

ナットクしてしまいました。
目立つのは瓦礫の山や、粗末なテントばかりじゃない。路上にも市場にも溢れている、でっかい果物や野菜。
色鮮やかに咲き誇るブーゲンビレア、ハイビスカス。
そして、人々の笑顔と、喧しいほどの笑い声。

コミュニテイパワーか。日本はとっくの昔になくしちゃったよね。
この犬も耳を片方なくしてるけど、特に不幸とか、落ち込んでいるとかじゃなく、フツーに昼寝しているわけね。ナットク。

FBより転載

*以下つぶやきです; 今日(5/13)の午後、カランキを一人で歩き回り、テント生活をつぶさに見てきました。カランキはごく普通の町というか、狭い区域で、観光客などが訪れるところではありません。
私も、シャームジがいなかったら、一生来ることもなかったでしょう。

プレスでもないのだから、あまり近距離から撮影しては失礼です。
でも、なにせ暑いので、皆さん、外にゴザを敷いて座っていて、もともとが素朴な人たちで、おまけに退屈している。で、しきりに手招きしてくれて、
ボスノス、ボスノス、フンチャ、フンチャーー「座ってくださいよ」「はい、はい」と、なるわけです。

で、どこからきたという質問に、我、日本人なり。名前はMakiなりーーと、なっていくわけですが、、
さらに質問が矢のように降ってくる。どこでネパール語を習ったのか?そのネパール人の先生の名前は? 子どもはいるのか、息子か娘か、夫はどうだーー

iPad で写真を撮って、見せてあげると、ばあちゃんも子どもも、オトナも大興奮。さあ、みんな、並べというママの一声で、整列する子どもたちーーという、いつものパターン。

4・25の大地震の時、あなたはどこにいたの?ーーというのは、私がテント村でも路上でも、機会があれば必ずする質問です。
バイクに乗っていたという人、4階の自宅にいたが、逃げようにも階段が下りられなかったという人、職場のICUにいたという、若い看護師さん。皆、日本の3・11とツナミをTVで見て知っており、
「この余震はいつになったら終わるのか。また最初から全てが繰り返されるのか。どうか教えてくださいよ」と、切迫した質問も飛んできます。

高校生は英語がよくできるので、私に答えられる範囲で答え、通訳してもらいました。大きなプレートが動いたのだから、その歪みのために、日本では未だに余震がある。ネパールでも、2,3年は続くはず。
でも、最悪最強のは、もう戻ってこないと思うよ。
そう言ったら、みんな、一様にほっとした表情になり、ラストクエスチョンが飛んでくる。「あなた、何歳?」

「アヌマンガルノス(当ててごらん)」と、我、常に言う。
今日は30歳から始まったね。ちなみに、昨日の路上トークでは、35歳から始まった。私がデレデレ ダンニャバード(とってもとってもありがとね)というと、皆、顔を見合わせて、じゃあ、40?我、再度デレデレダンニャバード。

あのですね。これ、リップサービスではなく、過酷な自然と労働のせいで、早くボロボロになっちゃうネパール人女性に比べて、日本人は若く見られるのです。
今日の落札は50でした。笑

皆、がんばっています。自分たちにできることを精一杯、自分たちで工夫して、やっています。ヒンドゥー教では神様の牛の世話も、ちゃんとやっているし。
何よりすごいのは、テント生活を続けながらも、大声で笑い、大きな笑顔になれることだと思う。

*このバージャイ(おばあさん)、私とタメじゃないかな。スモーカーで、メビウスimpact oneが大好きになったみたい。「日本のタバコは甘いねえ」
で、2本あげたら、大事に腹巻きにしまっていました。

子どもって素晴らしい


原っぱで、不自由なテント生活。でも、、
何も遊ぶものがなくても、子ども達はこのとおり、元気いっぱい。

日本の3・11でも、学校の体育館などの避難所で、同じような光景が見られたのではないでしょうか。
きっと日本の子ども達も退屈しのぎに、じゃんけんして、しっぺして、「いてーっ!」とかいって笑っていたんじゃないかな。

ほんと、子どものエネルギーって素晴らしい。
だから、私は児童文学を書いているのだと思う。

画像(2)

上から;旧王宮広場のセヴァ(奉仕)のテント。

山間部に物資を運ぶドイツのトラック。
我らが日本は、わりと早めに救援活動を切り上げた感があるけれど、今はどういう支援をしているのだろう、、、と思っていたら!

ついに、日本の医療チームに遭遇!
20日間、国立公園内で医療に従事し、明日(5/20)帰国予定だそうです。きさくに撮影に応じてくださいました。12日の大きな余震では大勢のけが人の手当に追われ、大変だったとのこと。
ご苦労様でした!

画像・カトマンドゥ(1)

*寄りかかってしまった建物。人が住んでいます。

*こんなことしたって、、ねえ。

*救援物資を運ぶチベット人僧侶

*旧王宮広場。四百年昔の美しい寺院は灰燼と化しました。

*いたるところに、瓦礫の山。ここで二百名の方が亡くなったそうです。


余震を怖れ、原っぱでテント生活を続ける人々が大勢います。5/12のM7.4の余震には,地震なれした日本人の私も慌てました。なにしろ建物や塀が粗悪なので。
地元の皆さんといっしょに、近所の小学校へ避難。3時間か4時間して、やっとタクシードライバーが車を出すことに同意してくれ、、、やっとホテルへ戻ったら停電。wifiもありません。

やむなく、夫のサブちゃんに国際電話で無事を伝えました。

ネパール大地震

もっぱらFBのほうに、最新情報や私の所感をアップしてきました。

確かに被害は甚大ですが、テレビやネットで報道されている悲惨な状況ばかりではありません。
空港からカドマンドゥ市内への道路は問題なく、私の常宿のあるタメール地区では、店もほとんど開いています。

私のかわいい末っ子にして、尊敬するグルジでもあるシャームジのカトの家が半壊し、彼は2日前に印ネ国境をバスで越えて、そこから乗り合いバスでカトへ。そうです。ローカルバスも走っているところもあるのです。

現在、シャームジとお兄さん一家はテント生活から逃れ、友人宅に身を寄せています。そうなんです。カトマンドゥにも住める家があるのです。

考えてみれば、四百年、五百年も昔の木造寺院、ろくな鉄骨の入っていないビル、日干しレンガの家々が倒壊するのは当たり前と言えば当たり前のこと。
そうはいっても、私にヒンドゥー文化への目を開かせてくれた,あの美しい旧王宮広場が、寺院が,赤い階段が,永遠に失われてしまったことは、言葉にならないほどの衝撃です。

山間部の被害はまだわかりませんが、一人でも多くの人々が救助されることを祈っています。
そして、カトでもポカラでも,私の大切な友人は皆、怪我一つしなかったということへの感謝も、神々に捧げています。

私は予定どうり、11日に出発します。
ネパール行きのE-チケットを取ったのは、今年の3月。まさか、こんなことが起こるなんて、夢にも思わずに……。

こよなくネパールを愛する友人達、また、昨年シャームジが来日した折、彼の教えに触れた人々から、「これ持って行って!」と、いろいろな物資が私のもとへ。

でも、被災地へ行くのですから、身軽でなければ歩けません。そこで、どれを持参するかの選別は私に任せてもらうことにしました。

今年の3月に、ネパール行きを決めてから、行く気満々で、仕事も前倒しにして、がんがん書いていた私ですが、、、4月に入ってから、なんとも気が重い、うつっぽい。
なんでだろう、なんでだろうと思っていたら,この地震です。

私には霊感もなく、むしろ、そっち系は鈍いほうです。けれども、3.11を考えても、何か地球規模での異変が、異常が起こっているのではないでしょか。その前触れを、私も受けていたのかもしれません。

怖れは、ありません。シャームジがきっと空港で待っていてくれる。大切な友人達と再会できる。
固く,そう信じています。

画像は;崩壊した家の中に立つシャームジ。この冷静かつ穏やかな目はどこからくるのでしょう。

デビュー作「絵にかくとへんな家」が電子書籍で復刊!となりました。

誰かに「絵にかくとへんな家」が好きですとか、六年生の時、読書感想文を書きましたとかいわれると、なんともいえない気恥ずかしさを感じる。遠い日の自分がひょっこり現れて、どぎまぎしてしまうのだ。
それほど、この作品は私自身と深く結びついている。
やせっぽっちで、胸が「ぺしゃんこ」なことを悩んでいるマッチも私なら、マッチの英語の先生、ミス・ミヤもまた、私なのだから。

あれから40数年。今なら読み返せると思った。そして、読み返してみて、ちっとも変わっていないなあと苦笑してしまった。三人称と一人称がいりまじった文章、よく書評などでいわれる「揺れ動く少女の心」という、あれ。

けれども、振り切ろう、振り切ろうとしてきたマッチが、実はずっと私を励ましてくれていたということ。そのことに気がついたというか、ようやく本書と「和解」できた意味は、私にとって大きい。

年号が昭和から平成に変わり、27年となった今、ベトナム戦争を知らない若い人達も多いだろう。電子書籍化により、新しい読者を獲得できたら、、と願う。
「あ、この本、子どもの頃読んだ」というかたも、もしも「再会」してくださったら、本当にうれしい。


主人公・野村まち子は12歳。あだなはマッチ棒の「マッチ」。やせっぽっちだから。胸が「ぺしゃんこ」だから。なかなか友だちの輪に入っていけないマッチは、通学する電車の窓から見える白い家に興味と空想をかきたてられる。いつも雨戸がしまっているのは、空き家なのだろうか。それとも、おとなになった私が住んでいるとか?

ある日、その家にしのびこんだマッチが見たものは生々しい戦争のフィルムだった。あの外人は誰? サツって警察のこと? なぞがなぞをよび、そして――。

小学上級生以上。
1973年日本児童文学者協会新人賞受賞作。デジタル版で復刻!



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「絵にかくとへんな家」ランディングページ
http://enikakuto-henna-ie.tumblr.com/
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