歓喜と勝利の年

わずか一週間のインド旅行から、敬虔なヒンドゥー教徒となって帰ってきた私。根が単純といってしまえばそれだけですが、それで片付けられないこと多々あり。

まず、これは定着するまでこのブログには書かなかったのですが、25年来の不眠症が治り、現在は入眠剤も安定剤も抗うつ剤も服用していません。安心して、自然の眠りに心身をゆだねています。
ガンジス河で沐浴する前夜まで、山のように持参した向精神薬を山のように飲んでいたのです。それが沐浴後、激烈な諸症状で一昼夜寝込み、その苦しさの中で、頭の中に「ノー・メディスン」という声が。

それで薬を飲まずに、安宿のクギの出たベッドに横になっていたらーーいつのまにか眠っているではないですか! そして翌朝。やっと起きられるようになり、バナナなら食べられるかもと皮をむいたとたん! バナナの濃厚な香りに、くらくらっとめまいが。
五官が異常に研ぎ澄まされたその感覚は、今でも続いています。

かかりつけの心療内科の先生、首をかしげているだろうなあ。1ヶ月半前、「旅行に行くので、がっちり出して下さい」と、全種類の薬をもらいに行ったきりだもの。
ああ、もうあのクリニックに行かなくていいんだというこの開放感。

抗うつ剤を飲まなくなり、副作用の便秘がなくなったので緩下剤も不要、さらに胃薬も不要に。禁煙に関しては、定着して自信がついたら書くことにします。

体重はいまだに40キロ。ちゃんと食べているのですが増えず。体脂肪も落ちたみたい。
また、以前は夕食のしたくがプレッシャーで、ストレスで、朝の7時頃からため息をまき散らしながら作り置きしていました。それが今は食べる直前にチャッチャッチャっと。
作り置きして冷蔵庫に入れ、チンで温めたものよりオイシイのはいうまでもありません。今日は和風スープにしようとか、ひらめくのも楽しみです。

それより何より、以前の私は一つのことを心配し始めると、ぐるぐるとその心配事の周りを回り、果ては深い穴に落ち込むというパターンでした。
仕事など自力でどうにかできることならいいのですが、息子たちのこととなると……。彼らの人生なのだからと頭ではわかっていても……。

喜びと心配、幸せと不安が交互に、まるで鎖のようにどこまでもどこまでも続いていました。

それが、なんといったらいいのか、うまく言葉になりませんが、全てが楽しみになってきたのです。今年の冬がくれば40の大台に乗る長男がいまだ独身、女っ気のないことも、「荷物の少ない、やりたいことをやれる人生だなあ。これから、どんな展開になっていくのか楽しみ」だし、31歳バンドマンの次男のことも、「これから子どもを作って、育てていくのか。大変だなあ。でも、どんな父親になるのか楽しみ」

そう、、オセロ盤が真っ黒だったのが、全部ひっくり返って、真っ白になったような感じなのです。

今はサンスクリット語ヴェーダの勉強が汲めども尽きぬ喜びです。新しいことを勉強するのって本当に楽しい。
まあ、いずれ本業と対峙する時がくるのでしょうし、こなくては困るのですが、つねに頭のどこかで考えつつ、時が充ちるのを待ちます。

ところで、タイトルですが。
インド文化に詳しい知人によれば、ヒンドゥー教の60年周期の暦では2010年、2011年は「カラの年」=試練と苦難の年だった。それが今月の23日より「ナンダ・ディジャヤの年」=歓喜と勝利の年が2年間続くのだそうです。

今月に入って親しいかたの急病、手術などが相次いでいますが、カラの年の最後のあがきと思いたい。いや、きっとそうなのだと信じます。

みんな、みんな、悪いところが治って、平安な心で、穏やかに暮らせますように。

ジョイも先週、急に皮膚病が広がり、慌てましたがぐんぐんと快方に向かっています。23日の「新年」までにノー・メディスンになるんだもんね、ジョイ?